前回の記事に引き続き、日本発CBDブランドCHILLAXY(チラクシー) 社長のトシさんへのインタビュー文字起こし記事です。前回の記事をご覧でない方は、まずは是非そちらをご覧ください!
前編ではチラクシーのブランドや商品についてお話を伺いました。今回はいよいよ、チラクシーを立ち上げたトシさん自身について、バックグランドや経緯について迫ります。
以下、前編・中編・後編の3本立てのうち中編の動画です。記事は、動画の下に続きます。
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トシさん自身について
ここまでのところで、チラクシーさんのブランドであるとか商品の概要など色々お伺いしたんですけれども、ここからはトシさんご自身についてお話を伺っていければなと思っています。トシさんについて、過去・現在・未来の順番でお伺いしていければと思うんですけれども、まず最初に過去の部分について。
僕が印象的だったのが、チラクシーさんのウェブサイトを拝見して、変わったというかすごいキャリアの方がやってらっしゃるんだなーと。カナダ出身で、トロント大学卒業、日本だと知っていらっしゃる方少ないかもしれないですけど、グローバルでは多分東大とかよりも上で。
まぁそういう風に言われてますね(笑)
僕自身の本業のイノベーション系の仕事で、トロント大の方と関わりもあったりして、量子コンピューターとかAIとか進んでいるところだなぁということで、知っています。卒業後に、コンサルティング会社とか金融機関とか色々経て、今チラクシー、というすごい面白い経歴だなというふうに思ったんですけど、トシさんの方から簡単なご経歴っていうのを教えていただいても良いでしょうか?
10才でカナダ移住
簡単に最初のところから説明すると、10才までは日本の神奈川の横浜の方で育って、10歳から大学卒業まで親の仕事の関係でカナダのトロントの方に移民しました。
あ、そうなんですね!
そうなんですよ。だから留学とかではなくて、本当に移民の形であっちに住んだっていう感じなんですね。
じゃあ、幼少期としてはカナダの方が長いぐらい?
そうです。なので、地元はカナダのトロントなんです(笑)
へ〜!そうなんですね。じゃあ10才からだと英語もネイティブ?
はい(笑)
卒業後は日本企業就職
でも、その後は日本の企業に就職?
そうですね。やっぱりその頃は、日本に対しての憧れが強くあったんですね。メイドインジャパンがカッコイイだったりとか、その当時仲が良かった日本人の友達とかが帰国してしまうとか。自分みたいな移民の日本人というのは珍しいので。
確かに。
で、あとは、カナダの人って時間のスピードがゆっくりしているんですね。自分はまだまだキャリア志向であったりとか、コンサルとか金融機関の映画とかでよく見る、生き馬の目を抜くようなスピード感のある仕事に憧れてたんで
バリバリやりたいな、と?
そうですね、あとは日本食も好きだったし(笑)なので、大学卒業した後に日本の方に帰国して就職したという形ですね。
なるほど
それが面白いのが、ちょうどリーマンショックの時なんですよ(笑)ちょうど2008-2009年くらい。
で、どういうキャリアなんですかっていう質問に答えると、2008年の終わりから2009年あたりの時に、ありがたいことに財務系のコンサルティング会社のプルータスコンサルティングというところに就職しまして、そこで数年、結構有名な創業者の下で学ばせていただいて、そこから香港の投資銀行の証券会社に転職しました。
ビジネス・金融街道まっしぐら
財務系のコンサルから香港の証券ということで、大学でも勉強されてたのがその辺りなんですかね?経済とか金融とか
そうですね。自分自身、大学もそうですし、高校の時からビジネスにはすごく興味があったんですよ。むしろそこしか勉強してないです(笑)
ハハハ(笑)
高校の時とか本当に勉強してなくて成績がすごく悪かったんですけど、ラッキーなことは海外の大学って自分の好きなところだけ勉強すればそれでいいみたいなのがあって
得意を伸ばすというか
はい、そういうのがあるので、結局大学に入るときに自分の好きな科目しか取らなかったから、トロント大学に上手く入れてそのまま卒業できたというところです(笑)
尖った形で、というところで(笑)
そうですね。それでずっと、ビジネスだったりとか、金融・ファイナンスの方を勉強してきました。
学生から興味のあったビジネスの道でそのど真ん中の金融っていうところを歩まれていかれるわけですけれども、それで香港の方では?
イメージでいうとこんな感じです。投資銀行の中の証券、自分が在籍していたのは日本株のリサーチ調査とかをするうポジションですね。何をやっているかというと、いわゆる機関投資家、年金とか保険の運用会社とかに「この会社はいいですよ」というように株を買うことを勧めるレポートを書いたりする仕事をしていました。会社訪問とか、市場を分析して、「この会社は伸びるから株を買いましょう」みたいな仕事をしてたんですね。
証券会社ではそういうことをやっていて、ラッキーなことに、ニューヨークの中でもトップのヘッジファンドの共同創業者の一人が自分のレポートをたまたま読んで、その人に引き抜かれました(笑)
レポートからそんなことあるんですね(笑)
あります、面接も何もなかったです(笑)レポートに関して1時間話しただけで、そこから誘われました。
すごいですね(笑)
それが2012年とかかな。アベノミクスが来る前に引き抜かれて、ニューヨークの投資機関、ヘッジファンドという運用機関の日本株を担当する人間として、数年間やったという感じですね。
アナリスト→ファンドへ
そこで、業界は近しいですけれどもキャリアチェンジというか?
そうですね。元々の証券会社のアナリストは金融機関に対して営業する、証券の分析とかを提供する側だったんですけれども、今度は買い手、情報を買って実際に株を運用する方のポジションにまわったという感じですね。
そこで買い手としてやった後は、どういう感じですか?
そうですね。そこの仕事が結構激務で、一週間日本で例えば会社訪問とか関係者に取材とか、いわゆる株の調査のために行って、その週末とかにニューヨークの方に飛行機で戻って、飛行機の中で調査結果を書き上げて、到着したらまっすぐボスにレポーティングをして、それでエクセルだったりとかデスクトップPCが必要な作業をアメリカの方で全部やって、また次の週に日本に行く、みたいな・・・苦笑
うわ〜・・・汗
そういう風なライフワークを数年間やってたんですよ。
死にますね・・・
死にますよ(笑)
仕事的にはすごく楽しかったんですね。やっぱり20代の頃にそういうチャンスだったりとか、すごく優秀な人と接する事がなかなかないじゃないですか。ディシジョンメイキングに関わるとか。すごく楽しかったんですけど、やはりちょっと身体的にこれはちょっとキープできないなと。それで同じような資産運用関連の仕事をできる会社を香港の方で探して、香港の方のヘッジファンドに転職して香港に数年住んだっていう感じですかね。
NYファンド→香港ファンド
香港の方で数社、転職の時に見てみたんですけど、最終的にはニューヨークの時の同僚の一人に中国系の人がいたんですね。彼がニューヨークのヘッジファンドをやめて、新しいファンドを立ち上げたんですよ。
そうなんですね。
そこが一番最後に勤務したところなんですけど、最初はそのファンドは中国株しか見てなかったんですけれど、日本株の代表を探しているからやってくれという形でそこに入りました。
香港で働きたいというのが先にきたんですか?それとも、その縁が先?
アジアの方のその金融都市でいうと3つあるんですね。東京、香港、シンガポール、この3つなんです。シンガポールは盗難アジアを担当するのであればいいかもしれないんですけれど、やはりそのちょっとその金融機関の都市としては香港よりも明らかに小さいんですね。日本は、東京とかにもヘッジファンドのオフィスとかあるんですけれども、規制が香港より厳しかったりとか、あと英語の環境じゃないので、日本以外から入ってくる情報が薄いんですよ
あー、僕らの業界(イノベーション系)もそうです。
わかります。すごいガラパゴスなので、インフラ的な面はむしろ日本の方が建物も新しくて綺麗で食べ物も美味しいしクオリティオブライフは良いんですけど、ビジネスをトップのレベルでやるにしては当時は香港の方が分があったんですね。グローバルビジネスをやりたかったら。
ヘッジファンドも、東京のオフィスと香港のオフィスだと、香港の方がアジアの中心だから、そこに行くしかないんですね。
住んだりするには日本が良いと
そりゃそうですよ、もちろん(笑)
働くには、ちょっと違う選択肢になるよねと。給与も低いと、よく聞いたりしますね。
CHILLAXY立ち上げの経緯
トシさんは香港ヘッジファンドマネジャーとして活躍されていたわけなんですけれども、そこからある種の大転換と言いますか、チラクシーを立ち上げることになると。結構勇気のいる決断だったのかなと思うんですけれども、何かそこに至るまでのきっかけとかあったりするんでしょうか?
今回は、CHILLAXYを立ち上げたトシさんご自身に焦点を当て、色々とお話を伺いました。次回いよいよ最終話の後編。CHILLAXY立ち上げの経緯や、今後の展望について深掘りします。こちらからご覧ください。